ある日のこと、漢方の古書をめくっていると「石決明」の語句が目に飛び込んできました。
以前から漢方に詳しい医師仲間から「石決明」については聞いていたので関心はありました。
しかし、実際に自分の目で資料を見つけて確認すると関心はどんどん深まっていって、文献を集められるだけ集め、記録し、整理し始めたのです。
ちょうどそうしたときに中国に留学して中医学を学び、東京で東洋医学の研究を続けているT氏から「石決明」の情報が新たに入り、「研究に協力してくれませんか」と頼まれました。
私のほうは渡りに船でしたから、二つ返事で引き受けました。
アワビの貝殻エキスについては、これまでの研究で学術的にもかなり詳しくわかってきました。
その一端を紹介しながら、「石決明」、すなわちアワビの貝殻抽出エキスの原料主剤と、「緑内障」「白内障」の改善作用を検証していきたいと思います。
私が西洋医学を学び、そこに拠って立つ医師でありながら東洋医学をはじめ伝統医学に強い関心を持つのは、はっきり言って西洋医学の限界を知っているからです。
同時に伝統医学もまた先人たちの血の惨むような努力から生まれた知恵の結晶であると認識しているからです。
確かに科学的分析に始まる西洋医学・薬学に比較して、経験や口伝を軸に生まれた東洋医学は、ときには間違いや薬理効果の弱いケースもありますが、逆に西洋医学に比肩して劣らないばかりかむしろ優れているものや考え方も多くあるのです。
「石決明」もそのひとつですが、明治時代に西洋医学に偏った政策がとられた結果、長い間忘れ去られてしまっていたものです。
「石決明」とは漢方の生薬名で、ミミガイ科(アワビやトコブシ)の貝殻の真珠層を指します。
中国では、古くからこの「石決明」は眼病の治療薬として使われてきました。
中国の古典医学書『名医別録』に「石決明」は眼病の上薬として紹介されていますが、明代の医学・本草学者・李時珍はその著書『本草綱目』の中で、「目ノ障リ、駱ノ痛ミ、青盲ヲ主ル」とあり、特に底暦(「白内障」や「緑内障」のこと)に有効と記しています。
同じく明の本草学者・王肯堂は『証治準縄』の中で眼病薬として「石決明」を配合した「石決明散」を紹介しています。
また、『眼科全書』(哀学淵著1791年)のなかでも「石決明」の効能が詳しく説かれていて、効能の項には、水暦内障、辣花鸚内障、白鸚黄心内障、渋鸚内障など、現代医学で言う「白内障」や「緑内障」と考えられる病名が挙げられています。
わが国の文献でも、18世紀初頭に発刊された最初の眼科専門書『眼目名鑑』に「石決明」を主剤とした「真珠散」(唐代に編纂された『千金方』にも登場する)等の処方が紹介されています。
具体的には、底鸚、はやり目(結膜炎、角膜炎、トラコーマ等)に奏効するとあります。
間もなくこの書物が全国に広がると「石決明」の爆発的なブームが起きて、『眼科秘伝書』等の古文書をひもとくと盛んに臨床に用いられたと書かれています。
同時に当時の薬師たちが競って独自の処方を考案し、功を争ったことが記されています。
詳細は次項に述べます。
巷間では未だに西洋医学と漢方等の伝統医学の対立論争がみられ、多くは前者に凱歌があがるのですが、近年、西洋医学に限界を感じた医療従事者のなかから伝統医学の見直しをし、西洋医学のなかに伝統・伝承医学を取り込んだ統合医療を主張する新しい流れも出てきています。
私はどちらであれ病気が治ることが一番大切なことと考えています。
西暦1600年代に中国から『本草綱目』が伝えられ、その中に「石決明」は上薬と記されていて、そのとおりの効果が認められるというので徐々に評判が高まり、たちまち全国へ広がります。
上薬とは長期間飲用しても副作用がなく、身体を健康かつ丈夫にする働きのある生薬という意味です。
当然、当時の眼科医は競って「石決明」を臨床に応用するようになりますが、その頃の医術は一子相伝の傾向が強く、門外不出の秘薬として扱われたために全国に広がったとはいえ、一般に普及するところまでには至りませんでした。
ところが1689年に日本初の眼科の専門書『眼目名鑑』が発刊され、そこに「石決明」を主剤とした「真珠散」あるいは「大真珠散」の処方が載り、底駱(「白内障」「緑内障」)、はやり目(結膜炎、角膜炎、トラコーマ等)に奏効すると記述されると、この書が全国に流布した1800年代には「石決明」の爆発的ブームが起こり、海辺近くの住民に限らず、遠く山間部に暮らす住民までもがこの生薬の恩恵にあずかりました。
こうして「石決明」は評判の高まりに伴って日本の各地に広まるのですが、その結果、品不足となり、原料のアワビの殻の代わりに牡蝸殻が使われるなど、次第にまがいものも出回り始めたのです。
やがて地方の医師や患者から効果に疑問や不評の声があがってきます。
粗悪品では当然薬効があがるはずもありませんし、当時の製法から推測して「石決明」そのものの用い方にも問題があったと考えられ、せっかく大ブレークしたブームも次第に下火になっていきました。
要因のひとつは、「石決明」の成分の体内における吸収率の問題でした。
「石決明」に使用されるのはアワビの貝殻の内側にある光った真珠層の部分ですが、古書によると、当時はアワビの貝殻を砕いて粉状にしたものをそのまま用い、しかも1日あたり30グラムも飲用するとあります。
今からみるとかなり乱暴な処方ですが、吸収率の低さを補って万人向けにするには、無理してでもそれだけの分量を飲むしかなかったのでしょう。
また、なかにはそうした弱点を補うために、アワビの貝殻を高温で焼いてから真珠層を削り取り、それを粉末にする方法も記されていますが、これではせっかくの有効成分であるアミノ酸群が蒸散してしまう恐れがあります。
このようにしてつくられたアワビの粉末を飲用しても、それが体内に吸収されるためには強い酸によって分解される必要があり、胃酸をたっぷり分泌できる体力のある患者(漢方では『実証タイプ』と言います)は、充分に吸収できるので効果もあがりますが、胃酸の出がわるく痩せ型で体力のない患者(漢方では『虚証タイプ』と言います)は、充分に吸収できないため、その分効果は期待できなかったと考えられるからです。
このようにしていったん訪れた「石決明」ブームは、当時の医学界の事情、市場の状況、あるいは製法技術の未熟性などが背景となって衰退していきますが、より致命的な節目は、明治政府のとった漢方排斥政策の影響です。
しかし、数千年の歴史のなかで蓄えられた本物の人類の遺産が、埋没されたままでいるはずはありません。
社会の諸事情や技法の障害を乗り越え、見事に復活したのです。
現在発売されている製品は、かつて起きた問題のすべてを解決し、現代化学の特殊技術を用いて真珠層に含まれている有機質等の成分を破壊することなく抽出し、さらに水溶性エキスに加工したものであり、患者さんの体質にかかわらず充分に吸収され、少量でも効果があるものになりました。
それだけにとどまらず、最先端の研究によって漢方の知恵をほりさげ、次々項で取り上げる3種の副剤との組み合わせでその効力を最大限引き出すことに成功しました。
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